経験

日本社会にほんしゃかいきる人々ひとびととの対話たいわ

2020.12.13

風さんー手話やろうのことを知ることでこれまで見ていたCODAとしての世界が変わる

かぜさん―手話しゅわやろうのことをることでこれまでていたCODAとしての世界せかいわる

 

中国ちゅうごく大学だいがく日本語学科にほんごがっか日本語にほんご勉強べんきょうしてから、日本にほん大学院だいがくいん留学りゅうがくました。外国語がいこくご勉強べんきょうきだったんですが、いろんな言語げんご志望しぼうして、三番目さんばんめだったかな、もっとしただったかもですが、たまたま日本語にほんご勉強べんきょうすることになりました。もともとアニメとかドラマとかそういう興味きょうみとか関心かんしんはなく、日本語にほんごとは無縁むえんでした。

 

日本語にほんご勉強べんきょうすることになったかぜさんは、日本にほん大学院だいがくいん博士課程はかせかてい国語学こくごがく研究けんきゅうをしています。

 

日本語にほんご全然抵抗ぜんぜんていこうもなくすんなり勉強べんきょうできました。ただ、わたしがいたところは日本にほんからのネイティブがあまりいなかったので、なかなかしゃべる機会きかいもなくて、はなすのはむずかしかったです。大学2年生だいがくにねんせい日本語にほんご能力試験のうりょくしけん1級いっきゅうをとりましたが、あまりはなせなかったので、能力試験のうりょくしけんって本当ほんとう日本語にほんごのレベルはあまり合致がっちしないものなんですね。

 

大学だいがく卒業そつぎょうしたあと日系にっけい企業きぎょう就職しゅうしょくしたが、留学りゅうがくしたいというかねてからのおもいを実現じつげんするために日本にほん大学院だいがくいんはいることにした。

 

わたし場合ばあい日本語にほんご学校がっこうかなかったんですね。研究生けんきゅうせいとしていま大学院だいがくいんはいりました。今7年目いまななねんめです。

東京とうきょう生活せいかつ大変たいへんながらもたのしいです。

 

問題もんだいになるようなことはほぼなかったです。なにかあったのかな。ないと思います。トラブルも記憶きおくにはない。じつ彼女かのじょ日本にほん一緒いっしょ留学りゅうがくたので、いま結婚けっこんしてるんですけど、そんなにさびしいとかもないですし。

 

ろうしゃ両親りょうしんつコーダ(CODA:Children of Deaf Adults)であるふうさんは、将来しょうらい日本にほん手話しゅわ研究けんきゅうをやりたいとおもっています。

 

日本にほんてすぐのころから、Facebookとかでたまたまつけたりした手話しゅわ教室きょうしつとかにはいって体験たいけんしたことがあります。それから日本にほん手話学会しゅわがっかい一回いっかい参加さんかして、Facebookで手話学会しゅわがっかいかかわる人をフォローして、手話関係しゅわかんけい情報じょうほうたりするんですね。やっぱり手話しゅわそのものがすぐはいっちゃうんですね。両親りょうしんがろうしゃだから。いまはいろいろ文献ぶんけんたりしていますが、日本にほん手話しゅわのレベルもあるし、それを記述きじゅつすることもむずかしいので、いまはまだ自分じぶんのレベルはそこまでいまっていないのかなとおもっています。

 

言葉ことば勉強べんきょうするようになったことがきっかけで、コーダであることに劣等感れっとうかんつねかんじていた自分じぶん自身じしんがすごくわりました。

 

両親りょうしんがろうしゃだっていうことがまえはすごいいやだったんですけど、大学だいがく2年生にねんせいぐらいのときに言語学げんごがく知識ちしき出会であってから、全然ぜんぜんひとわったっていうかんじでした。やはり自分じぶんのアイデンティティという部分ぶぶん発見はっけんになった。それから日本にほんにやってきて、木村晴美きむらはるみさんの手話しゅわ、『ろう文化ぶんか宣言せんげん』っていうほんんで、それもすごい影響えいきょうがありました。

 

どものころいやなことがいろいろありすぎました。

 

ってるひとから、おまえ両親りょうしんこえないんだみたいな。高校こうこうのときはすごいいやでした。一番人いちばんひとられたくない時期じきだったかもしれません。それを両親りょうしんってて、わたし友達ともだちても全然ぜんぜんしゃべらないし、手話しゅわもしないし、多分たぶんばれないようにしてくれてたんだとおもいます。

 

自分じぶんほかひととはちがうっていうのをとにかくられたくなかったんです。

 

―なので、やはり近所きんじょ友達ともだち一緒いっしょにいるのが一番いちばん気楽きらくかんじていました。田舎いなかんでいたので、みんな両親りょうしんのことをっていますから、ちっちゃいときから。でも、小学校しょうがっこうのとき、みんながいえ電話持でんわもはじめてたときに、いえ電話でんわ番号ばんごうかれるのが結構けっこういやだったんです、うちには電話でんわがないから。あと、保護者ほごしゃかいっていうのがあったんですが、毎回まいかい自分じぶん両親りょうしんじゃなくて、親戚しんせきのおばさんとかをんで一緒いっしょってもらうのもいやでした。

 

なんだかばかにされちゃうんですよね。

 

日本にほん状況じょうきょうはどうなのかよくわからないんですが、中国ちゅうごくはまだむかしわらず、ろうしゃはしゃべれないひと知的ちてき障害しょうがい同等視どうとうしするっていうのがあるんですね。それであんまり自分じぶんいがなくてよくらないひとからはばかにされたりしたこともあります。どっちもばかにしちゃいけないことなんですけど。だから中学校ちゅうがっこう高校こうこうとか思春期ししゅんきのときは、きなひとができたりして、そのきなひとられたらどうしようという気持きもちもありました。

 

劣等れっとうかんですね。

 

―かといっておなじコーダにはぎゃく疎外そがいかんかんじてました。相手あいて自分じぶんのあんまりかっこよくない側面そくめんられるのがいやなんすかね。もしこっちが友達ともだちになりたいとおもっても、こうが警戒けいかいしんっているかもしれません。だから、なぜかあんまりコーダ同士どうしだからといって友達ともだちにはなれないんです。

 

知識ちしき共有きょうゆうしていることの大事だいじさをりました。

 

日本にほんのコーダの研究けんきゅうかいとか懇親こんしんかいではみんなすごいしたしいかんじでした。中国ちゅうごくでの経験けいけんかんがえてみると、多分推測たぶんすいそくなんですけれども、おたがいにこえない両親りょうしんつっていうのははじなんだっていうふうにおもってるんじゃないかなと。中国ちゅうごくでははじだとしているから、あまり仲良なかよくなれないのかもしれません。

 

いまはコーダであることはむしろはじじゃなくて、すごい自慢じまんです。

 

―やっぱり言語学げんごがくほんんで、手話しゅわ位置いちづけをることで、われわれと全然ぜんぜんわらないじゃんみたいにおもってからは、いま堂々どうどうえます。いまつらはなしでもすごい冗談じょうだんとしてえるようになってきましたね。

外国がいこくきなこと、日本にほんらしが順調じゅんちょうなのはいえ環境かんきょう影響えいきょうしているのかもしれません。

 

中国ちゅうごく手話しゅわ使つかえてろう文化ぶんかそだってきたことが、ことなる文化ぶんかたいする吸収きゅうしゅうりょく多分たぶんある程度ていどあるのかなとおもいました。そういう意味いみ外国がいこく勉強べんきょうするのとか日本にほんのような海外かいがいらすときにもちょっと耐性たいせいがあるのかもしれませんね。

 

わり)