日本社会を生きる人々との対話へ
高さんー中1で日本に来て助けてもらったから、今度は私が何かしたい
高さんー中1で日本に来て助けてもらったから、今度は私が何かしたい
―幼稚園まで河南省にいて、そのあとは瀋陽に移って、13歳の時、中学1年生の夏に家族みんなで日本に引っ越してきました。
高さんは両親と弟と一緒に中国から日本に来ました。
―お父さんの仕事の理由です。両親は一応私に相談はしたけど、13歳やったし、じゃあ行きますって別に抵抗はしなかった。
お父さんは最初は日本語ちょっとだけしゃべれてたんですが、私もお母さんもぜんぜんしゃべれませんでした。
―日本に来る前に、あいうえおだけ勉強して、市立中学校に入りました。何も分からなかったけど、一個上の先輩がハーフの子で中国語が話せたから、助けてくれました。その先輩のお母さんと私のお父さんが知り合いだったんです。
学校では、カウンセリングみたいな先生が最初の何か月ぐらいかは教室で隣にいてくれました。
―その先生が中国語をしゃべれて、通訳してくれてました。最初全くしゃべれないときはうれしかったですけど、通訳してくれることがうれしいんじゃなくて、誰かがいてくれてることがうれしかったです。でも、なんか徐々に友だちが欲しいってなって、ちょっと邪魔な存在になってた(笑)
友だちを作るには自分から動かないといけませんでした。
―最初は向こうが話しかけてくれて、でも、何かみんなが話しかけんくなって、自分からいかないと一日日本語を話す時間ないと思って、自分から頑張っていってました。
でも、それも控えてしまうようになってしまいました。
―1年生のときに初めて声をかけてくれた2人。女の子。めっちゃ大事にしたい友だちだったんですけど、私、自分のせいで嫌な思いさせたみたいで。日本語もわかんなくて、どこが悪かったのかちょっとわからなくて。いまだにちょっとそのとき何があったのかよくわかってなくて、でも、私が3年生で転校する際にはちゃんと手紙も書いてくれて、そのこともう許してるみたいな感じで。その子は泣いてた。日本語が全くわからないときだったから、誤解があって。初めて仲良くしてくれた子やったのに。ちょっとそれ以降友だち作る際には控えめにしゃべってた。もし何かしたらこんな感じになっちゃうかもしれないって思ったら控えとこうみたいになってもた。
学校の勉強は教科によっては何とかなりました。
―私は教科によるんですけど、英語と数学は何となくで理解してて、何とか授業はついていけるって感じでしたけど、国語、理科とかは2年生に上がっても無理やった。
日本語の勉強は担任の先生が見てくれました。
―1年生の担任の先生がめっちゃ優しくて、私がわからないときは翻訳アプリとか使ってくれたり、担任やから日記書いてくれたら見ますよって言ってくれたから、日本語で日記書いてみたりしてました。
1年間でせっかく慣れ始めた学校生活が2年生になったらリセットされました。
―2年に上がった時、どうすればいいのかがわからなくて担任も友だちも違うクラスになったし、また一人になったっていう感じやし。はじめて声かけてくれた子は2年生のときに転校しちゃったから、2年生に上がった時はもう一人だみたいな感じになって寂しかった。
それでも頑張って慣れたと思ったら、3年生でまた転校ってなって大変でした。
―お父さんの仕事でちょっとこっちのほうが近いからって、中学3年生で同じ市内の違う学校に転校したんです。何か強勉も難しくなって、英語と数学もできなくなった。前の学校は結構緩かったけど、新しいとこは結構厳しいし、強勉もちゃんとしてる感じで。新しい学校では完全に一人だったんですけど、新しい環境に入るのはもう慣れてたので、経験があるっていうか、だんだんわかってきてた。
転校した先の中3の担任の先生も優しかったです。
―私、理科大嫌いで、でも、その先生理科の先生だったから理科も頑張ろうってなって、70点ぐらい取った時はめちゃ褒められてめちゃうれしかった。
1回だけ国に帰りたいと思ったことがあったけど、まあしょうがないかなって、日本語教室通いながら頑張りました。
―放課後に遊びに行くとかはないけど、休み時間に話したりする友だちはいました。それと、私は地域の外国にルーツを持つ子どもたちに日本語と学校の宿題を教えてくれるところが2か所あって、水曜と金曜行ってました。同い年は私だけでした。でも、弟と同い年の子が2人ぐらいいた。私は3年生に上がって、新しく中国から来た友だち2人で一緒に受験勉強してました。
あんまり子どもいなくて、先生がいっぱいいた。だから、日本語の授業は一対一でできました。
―日本語教室は、日本語上達させるところで、日本語を勉強するために行ってるって感じ。そこにいてる先生はボランティアとして行ってるので、そこまでボランティアしようと思ってる人やから優しい人ばかりで。
高校に入ってからは普通にみんなと一緒に授業できて、友だちもできて、全部みんなと同じになった。
―高校は楽しかったです。中学の時と大きな違いは日本語がしゃべれたことかな。友だちもたくさんできました。日本人ってみんなクラスでは友だち作るのが早くて、学期が始まってすぐもうグループできてるけど、自分はまだほんまに友だちと呼べる友だちがいないなってなって、じゃあ、どうしましょうってなって焦ってたんですね、最初は。で、私と同じあんまり話が上手じゃないというかそんな子たちが集まってて、ご飯食べるとか。自分もそん中入ってってなって、そこで仲良くなってたんです。
国際科に入ったのでいろんな友だちができました。
―ハーフが結構いました。ハーフが多分、学年でも6人ぐらい。で、純日本人やけどアメリカで生まれて育った子もいるし。台湾とのハーフも1人いました。でも、その子はハーフやけど、ずっと日本住んでて、中国語あんまりできなくって。だから中国語は話さなかったです。
留学にも行ってきました。
―国際科科なので1年間留学に行くんですが、私はニュージーランド行って英語を勉強しました。高校やけど何か大学みたいに授業が自由で、楽しかったです。その時は日本語をしゃべらんとこうと思ってたけど、中国語ができるから、中国人の留学生と仲良くなって、逆に中国語をしゃべりすぎて、あんまり英語しゃべる機会はなかったです。でも今は英検の1級とるために勉強してます。
ずっと自分が何か荷物になってるって感じがしてました。
―助けてもらう一方だけやからって感じかな、自分は何もできないし。あんまり助けを求めることもできるだけ少なくしようって思ってた。できるだけ自分で頑張ろうって、その負担を減らそうって感じ。でも、高校になってからは自分ができることが増えたと思ったから、人を助けるようにいっぱいした。何か宿題を先生がいつも言うんやけど、毎回のその宿題を全部自分で覚えてて、他の子がメモしてないとかってなったときは、自分がそういうこういう宿題出たよみたいなのを言ってあげるとか。
大学に入ってからは、英語のおかげで友だちが増えていってます。
―私の今の友だち友だちは全部ESS(English Speaking Society)部の友だちなんです。最初は英語の授業で話しかけられて、ESS入りませんかみたいな感じで誘いが来て。行ってみたら楽しかったので、その子とも部活のメンバーとも仲良くなって。授業も何か知らんけど、よく同じ授業がかぶるの、そこで仲良くなっていった。
英語はもともと好きだったんですけど、日本語ができないときにもすごく役に立つから好きですです。
―今でも日本語が出てこなかったら英語で言うっていうのもありますし。それと、中国にいたときから、ずっと英語が好きだったので、小3から英語を始めて、小4の時にもう塾に通ってて、塾の先生が英語がすごくて、それにあこがれてたんです。今は普通の塾で英語教えています。英語を教えるときは楽しいですね。
大学では私の名前が中国人留学生とのつながりも作ってくれます。
―中国人の名前だから、クラスで中国の子がいると話しかけられる。中国人ですかって聞かれて、そうって言うところから、いろいろ話が始まる感じです。中国の留学生も困ってたら助けてます。でも、留学生だったら日本語学校を通って大学に来るので、自分とちょっとプロセスが違います。逆に私は日本人と同じプロセスを通って入学したので、そこらへんでは私は日本人脳で日本人のほうが何か共通点があって、まだ近いっていう。中国人留学生とは同じようで違うところがあります。
英語だけじゃなく中国語が話せることも役に立っています。
―ESSの友だちから第二言語で中国語取ってるんですとか。テストで口頭の試験があるとかで、音読とか1回発音してみて、みたいな。
今は日本語とこれまでの経験を生かして日本語教室でボランティアもしています。
―私自身は中1から高1まで続けてました。普段の学校生活は大丈夫ですけど、勉強面ではちょっとまだ足りないから、勉強を助けてもらってました。私が高校のときに小6の女の子が新しく入ってきて、ちょっと助けたりしていましたが、今は私がボランティアになって、教えに行ってるんです。
今通ってる子は小学生が多いです。
―結構教室があるんです。大人の教室と子どもの教室が分けられてて、大人も大人の教科書とかテキストとか使って勉強するみたいなあるんですよ。で、子どもは学校の宿題持ってきてもらって、そういう困ってることを助けるみたいな。でも、今いる小学生はみんな日本語しゃべれるから、日本語を教えるっていうよりも何かおしゃべりする。それ以外は国語とか算数の文章題とか、勉強を教えることもあります。
日本語教室のボランティアは続けたいです。
―まず、私が助けてもらったから、何かしたいですね。私が小さかった時に苦労してたことと同じ経験される人がそんなに辛くならなずにすんでほしいかな。
日本語教師も考えたことはありますけど・・・
―文法とか私も苦手なところを教えるってなったら、できるかどうか心配ですし、それが仕事ってなったらちょっといろいろ責任がほんまに重たくなるっていうのもあるし、ボランティアも責任あるけどそれほどじゃないし、週1でできることは限られてるし、日本語教師だと結構常にそんなことをしててプレッシャーが大きいのかなと思って。
でも自分の勉強方法も役に立つかもしれません。
―日本語上達させるのに役立っていることが、高校の帰りが歩きで結構駅までが長いから、道歩いててもその途中ずっと自分に日本語で話しかけてる。ある程度日本語ができてて、特に帰りにやることないから、今日はこんなことあったなって、友だちとこんなことしゃべったなとか。日本語がめっちゃ上達したんです。そこから英語にもやってるんですね。英語でしゃべりたくなったら、自分にこういう感じで振り返りとかして、歩いてるときに自分に話しかける。日本語がしゃべれるとしても、間違えることってあるから、もう1回その言葉を頭の中で考えてしゃべると間違えを自分で探してるような感じ。このとき、あのことば使ってたけど、もっといい言葉を思いついたり。そうやって自分の中で解決して、同じ話は違う人に話すときも出てくるから、それはまた再利用ができる。
まあ、今までいろいろあったけど、言葉って面白いし、すばらしい。言葉はコミュニケーションの道具やけど、何か私の全てがつながっている感じがします。
(終わり)