私的不完全仙台ナビ―私と仙台の「未完待続」― ゲイゲイさん
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仙台に行くのだ
仙台とのつながりは、なんといっても、まず魯迅から語らなければならないだろう。
中学校の教科書に載っている魯迅の文章は数多くあるが、日本に関するものと言ったら、必ず『藤野先生』が思い浮かぶ。9年間義務教育を受けてきた多くの中国人は、その文章を通して、仙台という都市の名にはじめて触れたのではないだろうか。
中国の小説家・翻訳家・思想家として広く知られる魯迅は、明治三十五年(1902)年、国費留学生として日本に留学し、1902年からの7年間、仙台の医学専門学校(現在の東北大学)で医学を学び、そこで恩師と仰ぐ藤野厳九郎先生に出会った。『藤野先生』という文章は、魯迅が留学時代の恩師との思い出を書き綴ったものである。
私がはじめて『藤野先生』を読んだのは中学二年生の頃だった。仙台での留学生活を語った文章ではあるが、文頭に「上野の桜が満開のころは、眺めはいかにも紅の薄雲たいごしんこくのようではあったが…」[1]というように東京の風物が書かれているせいか、「上野の桜」という言葉を耳にするたび、なぜか仙台の名が頭の中に浮かんでくる。
仙台。
『藤野先生』において、「仙台」に言い及んだのは5カ所しかない。従って、仙台については「冬が寒そう」というような薄い印象ぐらいしか残らなかったのだ。
2018年の夏、妹と日本に旅行に来た。通天閣周辺に高くかけられているふぐの提灯、道頓堀グリコの電光看板、緑に包まれる大阪城公園…。目にした風物はいかにも大阪らしいが、どうしても海外で旅行している気がしなかった。中国語が通じちゃうからだった。
「せっかく日本語の勉強が頑張ったのに」妹は思わず苦笑いをした。
もちろん、私はこうなるのを予想していたので、仙台を予定に入れておいた。
中国最大級の旅行情報口コミ投稿型サイト「馬蜂窩(マーフォンウォ)」において、いつの間にか「仙台」に関する質問が484万件に達し、Weiboでも仙台の旅行情報がたくさんあげられるようになった。メディアの東方網は2019年8月30日付の記事では、中国人の訪日旅行について「仙台などのニッチな目的地がブーム」[2]と伝えていた。
仙台が人気になってきたと、私はなんとなくそんな気がしている。
「1回目は東北六県に行けば、3年間のビザがもらえる政策があるってさ。仙台、いいじゃん。魯迅が留学してたところやな」
「東京にも近いし。東北エリアのJR・PASSがお得らしいぜ」
「羽生選手の聖地巡礼にいってみたい~牛タンもおいしそう」
「俺、伊達政宗が好きだ」
「仙台って、杜王町の原型だよね。花京院という所もあると聞いた」
中国人が仙台に行く理由はいろいろあるが、私が仙台に行く理由は特に思い当たるものはなかった。ただ「絶対仙台に行くんだ」という気持ちに駆られて、旅に出た。
2018聖地巡礼
―2018年7月15日・曇り―
私は関西の蒸し暑さから逃げ、気温のやや涼しい仙台にやってきた。飛行機を降り、観光センターに向かうと、そこには羽生選手のポスターが貼られていた。さっそく心斎橋のディズニーショップで買ったプーさんを手に取り、妹に記念撮影を撮ってもらい、小躍りをするほど期待があふれた。
ここから、私は仙台での思い出を編み始めた。
名取経由で仙台空港から仙台駅に着いたのは、ちょうどお昼の頃。駅とはいえ、天井の高いロビーでは弁当や名産物が揃うブースが並ぶ市場みたいな所。駅のずんだ茶寮で「うわさの」ずんだシェイクを買ってみたら、噂通り美味しかった。甘くて柔らかい食感、小さい頃飲んでたような脱脂粉乳のにおいとずんだあっさりとした香りが混じり合い、とろとろ口の中で溶けてくる。仙台の夏はやはりずんだシェイク!
駅を出たら、交差する歩道橋が見える。七夕祭りには間に合わなかったが、あちこちで七夕飾りが飾られていたおかげで、私もお祭りを祝っているような気分がした。滞在は三日間の予定だったため、さっそく聖地巡礼の途についた。
地下鉄南北線の八乙女駅で降り、七北田川を渡って10分ぐらい歩いたら、アイスリンク仙台に着く。七北田橋に近づいたところで、二人の女の子がスーツケースをガラガラと引いて歩いてきた。キャスターとアスファルトとの摩擦音に気を取られ、女の子たちに目を向けると、相手も笑いながら挨拶してくれた。お互いの首には羽生選手の愛用するファイテンのネックレスをつけていたのを見たからだろうね。路地を抜けて、大通りについたら、高玉南公園の近くにアイスリンク仙台が静かに佇んでいた。中に入ると、ロビーには仙台平を着用する羽生選手の立て看板とサインの色紙が展示されていて、奥にはミニ写真展もあった。
アイスリンクは思ったほど大きくないけど、練習に夢中になっている子ども、縁に沿って少しずつ進む大人、みんな一人一人違った楽しみ方でリンク上の時間を過ごしていた。
ここが羽生選手の成長を見守った場所。リンクに目をやると、二回転ジャンプを練習するキノコヘアーの男の子がいた。そういえば、羽生選手もこのぐらいの年でこういう髪形をしてたね、と記憶にとどめていた「キノコちゃん時代」の映像を脳内で再生した。
実は、実家の青島にいた時、よくリンク場の壁にある巨大なスクリーンを見ながらぼうっとしてた。流れるフィギュアスケートの試合動画を見ながら、時間の流れを忘れてしまう。今回も旅の疲労から逃げる気分で、またぼうっとして、しばしの安堵感と満足感を味わいながら、アイスリンク仙台がで20分ほど座っていた。旅行する時、このような贅沢な時間を作るのも大切な一環だからな。
最後の記念写真を撮り、アイスリンク仙台がと別れることにした。日が暮れるまでもう少し時間があったため、さっそく次の目的地を決めた。近くにある七北田公園。近くにあるとはいえ、飛行機で疲れたし、歩いていくのはきついし、結局バスで行くことにした。だが、その時の私はバスの乗り方を知らないということに気づいていなかった。すぐに来ないだろうと思いきや、乗るバスがやってきた。失策だ……とりあえず、前の人のやり方を見ようかと思いながら、一応バスに上がった。しかし、前のおばあちゃんが緑のICカードを出したのを見た瞬間、私は発券機の前で固まった。心配することはとかく起こりやすいようだね。
「あのう、すみません。バスの乗り方を教えていただけませんか」
と小声で話かけてみたが、心の中では助けてって一生懸命叫んでいた。すると、
「まずはこれだね」
と、おばちゃんが整理券を引いてくれた。
これも一期一会のご縁というものだろう。一回しか会えない人同士だと、自己紹介はしなくても話がおのずと進んでいく。この限られた時間で一番言いたいことを一刻も早く相手に伝えたいからだ。知らない間に泉中央駅まで来ていた。バスの乗り方は依然としてわからないままだったが、不安とかはまったくなかった。
「整理券をここに入れていただけ…あ、そっちではなくて…」と、運転手さん。
「すみません!」
「お金はそちらに…あ、お客様、両替したお金はこちらに…」
「あ、ごめんなさい!」
「これでオッケーです!ありがとうございます!」
「……本当にすみませんでした」
日本で皆さんに色々ご迷惑をかけてきて自分の不器用さを再発見した私は、多くの失敗を繰り返しているうちに、余計に図々しくなったようだ。
なによりバスの乗り方ぐらいはわかったと、こうして自分を慰めた。
「いつか羽生くんに会えたらいいね。では、よい旅を~」
恩人のおばあちゃんと別れた。
「なんとかなる」って本当だね。七北田公園についた時、私はぼんやりと考えていた。あの日はずっと変わりやすい空模様だったけど、七北田公園の空だけは、曇りから脱出したような鮮やかな色だった。日が暮れる前に、私はさっそくプーさんに変身し、公園を一回りをして、思う存分記念写真を撮った。見つかった!
ようやく、中国のファンたちに「結弦桜」と呼ばれている木の前に来た。羽生選手が植えた桜の木。あまり茂っていなかったが、そのまっすぐ伸びた若々しい様子を目にすれば、立派な桜の木になった様子もなんとなく浮かんでくる。隣には池があるのなら、花筏も楽しめそうだな。
七北田公園の緑に吸い込まれそうと思った時、鼻にしずくが滴り落ちた。小雨が降り始めた。
―2018年7月16日・曇り―
東北初のジャンプショップは仙台で誕生した。仙台がパルコ本館の8階に上がったら、ジャンプショップとポケモンセンターでは大変な人だかりだった。「ハイキュー!!」の原画の看板を見た瞬間、わくわくした気持ちが爆発寸前の風船のように膨らんだ。
ここは天国や!「ONEPIECE」「銀魂」だけじゃなく、「ハイキュー!!」に関する幅広い種類の商品が店頭に陳列され、特に東北限定のグッズがたくさんのファンを引き寄せている。ここでまず「ハイキュー!!」という作品を紹介しなければならない。「ハイキュー!!」は宮城県に舞台を置くバレーボールを題材にした少年漫画であり、仙台駅や仙台市体育館が頻繁に登場するため、この漫画にハマっていた私は仙台に対する憧れの気持ちも一層強まった。店頭を何周も回り、ようやく気に入ったグッズを選んだ。お金はこんな時に使うんだ!使ったお金こそ自分のお金なんだ!と自己催眠術をかけ、御会計を済ませたら、また隣のポケモンセンターに入った。
結局爆買した。ジャンプショップの袋には漫画の原画に合わせて「仙台についに来た」という文字もあった。仙台についに来た!これは私も言いたいこと。そしてポケモンセンターの袋に、レシートと一緒に紛れ込んでいたカードが一枚見つかった。「本日お買い物をしていただいた、ポケモンセンタートウホクの収益は全額、東日本大震災で被災した子供たちのために使われています」と書かれている。東日本大震災。これを見るなり、記憶が一年前に遡った。一回生の時は「日本国情概論」という授業があって、中間発表として、日本のある地域についてテーマをクジ引きで決め、発表することになっていた。運命なのかなんなのかはわからないが、私が引いたのがちょうど「東北」だった。
「東日本大震災をテーマにしたらどう」とグループメンバーに提案した。
「ちょっと、それよりもっと面白いテーマがあるよ」
「まあ、それはそうだけど…」
「こいつ、羽生選手にはまり過ぎだよ。でもいいんじゃないの?どうせみんな特にやりたいテーマもないしさ」
私の「わがまま」が認められた。一生懸命資料を調べ、発表の練習をした結果、先生にも認めてもらえ、高い評価ももらった。発表が終わったとはいうものの、津波に押し流され波にの飲まれる家屋、ひっくり返った車、上り続ける黒煙…被災地の場面が脳裏に焼き付いて離れない。発表の最後に、「皆様も、ぜひ東北に旅行に行ってみてください」とアピールしたが、その後の東北がどういう様子なのかさっぱりわからなかった。いつか確かめにいくと決めた。
仙台に来てから、ここが被災地だったという認識は一瞬で吹き飛んだ。東京や大阪ほどじゃなかったが、町の様子を見ればここが生き生きとしているのがわかる。仙台駅前商店街を散歩したら、依然としての人だかり。
「ほら、見て」
頭をあげると、高くかけられていた横断幕が見えた。「羽生結弦選手感動をありがとう。仙台・宮城・東北の誇りです」と。羽生選手はいつまでもふるさとのことを気にかけ、感謝の言葉を繰り返している。少しでも仙台のことをアピールし、知っていただけたらという羽生選手の思いが、今ちゃんと世界中の人々、少なくとも私には届いている。今回は、羽生選手のふるさとを見るだけに仙台に来たと言っても過言ではなかった。そして、ほんの短い間に仙台に惚れちゃったのだ。
私はもう一人の選手のことを思い出した。
「ね、愛ちゃんも仙台の出身って知ってる?」と妹に聞いた。
「えっ、あの泣き虫の愛ちゃんが?」
そう。最初に中国人に知られるようになった仙台出身のスポーツ選手は羽生選手じゃなく、卓球選手の福原愛さんなのだ。小さい頃に中国の東北地方で卓球の特訓を受けたおかげで、中国語の東北方言がペラペラになり、中国のファンたちに「愛醤(あいちゃん)」だと親しみを込めて呼ばれてきた。日本でも中国でも正真正銘の「東北人」で、卓球も上手いということで、中日両国民に可愛がられてきた。こう考えると、ここはまさにスポーツ選手の揺り籠だ。
散歩がてら、たい焼きの専門店「鯛きち」にきていた。外パリパリ中身フワフワの「うす皮たい焼き」と冷たくて美味しい「生たい焼き」の二種類販売されていて、ラッキーなことに、土日限定のずんだ味もあった。夏だったけれど、熱々のたい焼きにした。
「帰る前に、萩の月のお菓子と牛タンをおばあちゃんに買ってあげようか」
「姉ちゃんって、ほんまに仙台にはまってんな。変わったやつ」
「わるいか」
「いや。ここが平和であたしも好き」
「ほら、たい焼き食べな」
出来上がりのたい焼きの香ばしい匂いにさっぱりした香りが混じってきた。ずんだの鮮明な緑色は、まるで七月の笹のようだった。
2020聖地再礼
―2020年1月28日・雨―
開店まであと1時間か。
営業時間を調べずに利久牛タンに来ちゃったとは。私もたまにこんなことをする。躊躇いに躊躇った結果、また傘を差し、雨の中を進むことにした。
気ままに辺りをうろいろしていて、気がついたら七北田橋がすぐ目の前にあった。二年前には気づかなかったが、このあたり凸凹している所がかなり多いらしく、雨が降ると水たまりがあちこちに点在している。一生懸命水たまりを避けようとしたが、橋を渡ったやさきに、うっかりして水たまりを踏んでしまった。
油断大敵。靴がずぶ濡れになったうえに、雨がいっそう激しくなったおかげで、私も遠くへ行く気がなくなり、競技場のような施設に雨宿りに駆け込んだ。なんのためにここまで来たんだろう。利久で待っていたらいいのに。SIDの歌「雨はいつか止むのでしょうか」が頭の中でエンドレスでループしていた私は、濡れた靴を履いたままぼけっとするしかなかった。雨の日は余計に疲れやすく、そろそろ時間だなと思って、利久に戻った時は、お腹もペコペコだった。
よし。靴が濡れてもまったく苛立たなかった自分のご褒美に、贅沢な牛タン定食を注文しようぜ!でも、牛タンを楽しむ前に、大事なことを。私はカメラを取り出して、レジに向かった。
「あ、羽生くんのサインでしたら、こちらです」
店員さんの指さす方向に目をやると、一列に並んだやや黄ばんだ色紙が見えた。真ん中の一枚は羽生選手が書いたやつで、六年前のサインだった。昔どこかの記事に載っていた写真を思い出したが、この店の様子もだいぶ変わってるようだ。レジのところはアリペイのマークも貼ってあり、こんな遠い店でもよくアリペイが使えるんだと感心した。
いよいよ牛タンが運ばれてきた。程よい焦げ目に食欲をそそる香り。やはり牛タンは厚切り!
「こりゃあ旨そうだわ」
おっさんだらけのこの店で、私は思わずおっさんっぽい感嘆の声をあげた。
牛タンを楽しんだ後は五色沼に向かった。国際センター駅に着いたが、駅を出るまでもなく、ザーザーと降る篠をつく大雨だとわかった。まったく止む気配はないようだ。ガラスの窓の内側から、駅の外においてある看板のようなものが3つ見えた。羽生選手と荒川静香選手のモニュメントだ。元々は2つしかなかったが、平昌オリンピックでの金メダリスト二連覇の記念に、2019年に新しいモニュメントが設置され、3つに増えた。その図はまさに晴明の名ポーズだ。
モニュメントの左に荒川選手と羽生選手のハンドプリントも展示されている。雨が激しく降っていたにもかかわらず、自分の手を手形の上に重ねてみた――私の手よりやや大きく細長い手だ。
国際センター駅から出発し、南に向かって三百メートルぐらい歩いて大通りを渡ったら、日本フィギュアスケート発祥の地、五色沼に着く。前にここに来た時は、興奮しすぎちゃって国際センター駅で一日乗車券をなくし、慌てて探していたので、五色沼がこんなに近い所にあるとはまったく気づかなかった。五色沼の隣に、氷の上でフィギュアスケートを練習する小さな人影が映っている写真が展示されている。五色沼に目をやると、冬の冷たい雨滴が水面を踊っていた。
ここって本当に凍るのか。
たぶん百年前はもっと寒かったかな。
と、自問自答をし、勝手に結論をつけた。そしてなぜだか魯迅の文章に書かれた「冬に入ってかなり寒くなっても蚊がまだたくさんいる」を連想した。
そうだ。この近くに魯迅の像があると聞いた。あいにく博物館は整備で閉館していたが、幸いなことに魯迅の像は館外にあった。銅像といえば、どこにいっても、ほとんど同じ顔しているような気がするから、魯迅の像もたぶん教科書に印刷されたあの顔かもしれない。階段を降りると、魯迅の像が見えた。木々の間に静かに立つ魯迅像は空を仰いで降ってきた雨を見ているような素振りで、やや嬉しいような表情もしている。私は魯迅を見つめ、魯迅は空を仰いでいる。もしその視線に形があれば、たぶん仙台のこの場所を越え、海を跨いで、中国のどこかにつながっていく糸のようかもしれないな。
はやくお風呂に入りたいと思って、ホテルに戻った。ホテルのカウンターからサプライズをもらった。去年発行され、仙台市内で配布されるガイドブック「仙台巡り」、羽生選手の私服の写真などがたくさん載っていた。とっくになくなったと思い込んでいたので、ここでもらえるとは夢にも思わなかった。今日も最高だ。
―2020年1月29日・雨―
仙台駅前商店街で無理算段してようやく五百枚のマスク揃えた。マスクが置いてある棚の前に中国人が何人もいた。
「マスクを買うのにここまで来たんですか」と私から声をかけた。
「いや。たまたま仙台で旅行をしてるんですけど…まさかコロナがここまで深刻になるとは。他の所ではもう買えないんですか?」
「そうですね。京都とかではもう売り切れらしいです。」
「そうなの!じゃここで買わないと。今年は大変ですね。武漢がロックダウンされるなんて」
「そうですね。帰国する時はぜひお気をつけください。」
傘を差しながら、まるで引っ越しするかの勢いで大きな2つのビニール袋に入ったマスクを郵便局まで運んで、中国への郵便を依頼した。
昨日、不安で実家に電話した。母はマスクを買っておいたらしく、感染者もあまり出ていないようだと聞いて、ひとまず安心したが、上海と北京の友達に連絡したら、状況はどうも厳しいようだったので、仙台でマスクを買って送ることにした。
郵便局を出た時も、雨は降り続いていたが、寒くはなかった。
今日の目標はうみの杜水族館だ。
中野栄駅で降り、1.5kmぐらい歩いたら着く。港の方向に近づくと、景色が一変し、傘を飛ばすほど風が強くなった。道の両側には自動車整備の店や工場が並び、高架橋の上を車が飛ぶように走っている。すれ違う人は誰もおらず、この荒涼たる景色に身を置くと、ちょっと寂しげだ。高架橋をくぐってもう少し歩いたら、大きくもない白い建物が雨の中に立っているのが見えた。うみの杜水族館だ。杜というぐらいだから、木が多いということだろう。そういえば、「杜の都」は仙台市の雅称としてよく知られ、「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部の舞台となる「杜王町」も、仙台を原型として作った架空の町である。荒木飛呂彦さんは自分の故郷を漫画にするほど仙台のことを愛しているのだ。
水族館のチケットは仙台空港で買った割引チケット。水族館に入ったら、人は少なく、おまけに暗くて、まるで静まり返った夜みたいだった。奥に行くと、ようやく人が見えた。彼らの視線の先には巨大な水槽があり、その中ではエイとイワシの群れがお互いを追いかけていた。
イワシのトルネードは姿を変えつつ時に消えたり時に現れたりする。
奥の方に向かうと、小さな水槽が次々と登場した。節分に近いためなのか、アナゴの水槽は季節限定の恵方巻き水槽のデザインになっている。「恵方巻き」の真ん中はアナゴがピッタリ収まる空洞となっており、先端から小さな顔を出しているアナゴの様子がおかしくも愛しく思った。お前らは心地いいと思ってるかもしれないが、人間はあんた達を食べようとしているぞ。
小型の水族館だというのに、一週回るのに三時間もかかった。二階のフードコーナーで宮城県産の銀鮭のランチセットを注文し、一休みすることにした。広いダイニングエリアには私しかいなかった。
「今何してるの?面白い動画送ったから、見てね」と母からのメッセージ。
なんだろうと思いながら、「水族館にいるよ」と返事し、動画をタップした。
父がパジャマを着て一人で一生懸命卓球を練習する動画だ。卓球の練習道具として、黒い台座の真ん中に弾力のある細長いポールが刺してあって、特製のピンポンボールがポールのトップに貼り付けられていた。あまりにも怪しくて滑稽な装置なので、思わず笑ってしまった。
「なにこれ。うける」
「今は気軽に散歩に出ないから、これをやるしかないんだってさ。ちなみに、お父ちゃんはひますぎてさっきトイレの隅々まで掃除してくれた。こんな甲斐甲斐しい様子見たことないわ」
「へえ、珍しいね。でもずっと家にいると寂しくないのか」
「それはそうだけど…でもみんなちゃんと我慢しているから仕方がない。そういえば、今年は親戚のところを回らなくてもいいから余計に楽だ。そっちこそ、一人旅寂しくないの?仙台の水族館は楽しかった?」
「楽しいよ。一人旅だから自由に時間を支配できるんだ。今日はあんまり人がいなくて、キレイな写真がとれた」
「人の少ない水族館なんて贅沢だな。旅行を楽しんでね。」
「ありがとう。そうする。そっちも頑張って」
旧正月のこの時期に実家にいないのは生まれて初めてで、しかも一人で旅をしているとは。故郷に対する恋しさ仙台の風景によって慰められ、不思議な安心感を感じるほどだ。これからは一人でどこへでも行けそう。
「雨は止むことを知らずに、今日も降り続いている」[3]
「未完待続」
仙台に行く時はいつも慌ただしかった。二回も行ったとはいえ、未だに仙台に未練が残っている。
まだ七夕祭りを経験したことがない。まだ定禅寺通に行っていない。まだ秋保温泉に行ったことがない。牛タンもずんだもいつかまた食べたい…「まだまだやりたいことがあるから、また来るよ」と、仙台から離れるたびに、悔しさとともに期待が生まれる。
私と仙台の物語は「未完待続」だ。今度は仙台で晴れの日を迎えればと願っている。
つづく
注:
[1]竹内好による訳文。「上野の櫻が満開のころは、眺めはいかにも紅の薄雲のようではあったが、花の下にはきまって、隊を組んだ「清国留学生」の速成組がいた。」
[2]RecordChina https://www.recordchina.co.jp/b741353-s0-c20-d0052.html
[3]SIDによる曲「レイン」の歌詞