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2020.09.03

私的不完全仙台ナビ―私と仙台の「未完待続」― ゲイゲイさん


わたしてき不完全ふかんぜん仙台せんだいナビ―わたし仙台せんだいの「未完待続つづく」― ゲイゲイさん

 

仙台せんだいくのだ

仙台せんだいとのつながりは、なんといっても、まず魯迅ろじんからかたらなければならないだろう。

中学校ちゅうがっこう教科書きょうかしょっている魯迅ろじん文章ぶんしょう数多かずおおくあるが、日本にほんかんするものとったら、かならず『藤野ふじの先生せんせい』がおもかぶ。9年間きゅうねんかん義務教育ぎむきょういくけてきたおおくの中国人ちゅうごくじんは、その文章ぶんしょうとおして、仙台せんだいという都市としにはじめてれたのではないだろうか。

中国ちゅうごく小説家しょうせつか翻訳家ほんやくか思想家しそうかとしてひろられる魯迅ろじんは、明治三十五年めいじさんじゅうごねん(1902)ねん国費留学生こくひりゅうがくせいとして日本にほん留学りゅうがくし、1902年からの7年間ななねんかん仙台せんだい医学専門学校いがくせんもんがっこう現在げんざい東北大学とうほくだいがく)で医学いがくまなび、そこで恩師おんしあお藤野厳九郎ふじのげんくろう先生せんせい出会であった。『藤野先生ふじのせんせい』という文章ぶんしょうは、魯迅ろじん留学時代りゅうがくじだい恩師おんしとのおもつづったものである。

わたしがはじめて『藤野先生ふじのせんせい』をんだのは中学ちゅうがく二年生にねんせいころだった。仙台せんだいでの留学生活りゅうがくせいかつかたった文章ぶんしょうではあるが、文頭ぶんとうに「上野うえのさくら満開まんかいのころは、ながめはいかにもくれない薄雲うすぐもたいごしんこくのようではあったが…」[1]というように東京とうきょう風物ふうぶつかれているせいか、「上野うえのさくら」という言葉ことばみみにするたび、なぜか仙台せんだいあたまなかかんでくる。

仙台せんだい

藤野先生ふじのせんせい』において、「仙台せんだい」におよんだのは5カ所ごかしょしかない。したがって、仙台せんだいについては「ふゆさむそう」というようなうす印象いんしょうぐらいしかのこらなかったのだ。

2018ねんなついもうと日本にほん旅行りょこうた。通天閣周辺つうてんかくしゅうへんたかくかけられているふぐの提灯ちょうちん道頓堀どうとんぼりグリコの電光看板でんこうかんばんみどりつつまれる大阪城公園おおさかじょうこうえん…。にした風物ふうぶつはいかにも大阪おおさからしいが、どうしても海外かいがい旅行りょこうしているがしなかった。中国語ちゅうごくごつうじちゃうからだった。

「せっかく日本にほん勉強べんきょう頑張がんばったのに」いもうとおもわず苦笑にがわらいをした。

もちろん、わたしはこうなるのを予想よそうしていたので、仙台せんだい予定よていれておいた。

中国最大級ちゅうごくさいだいきゅう旅行情報口りょこうじょうほうくちコミ投稿型とうこうがたサイト「馬蜂窩mǎ fēng wō(マーフォンウォ)」において、いつのにか「仙台せんだい」にかんするしつもんが484万件まんけんたっし、Weiboでも仙台せんだい旅行情報りょこうじょうほうがたくさんあげられるようになった。メディアの東方網とうほうもう2019年にせんじゅうきゅうねん8月30日付はちがつさんじゅうにちづけ記事きじでは、中国人ちゅうごくじん訪日旅行ほうにちりょこうについて「仙台せんだいなどのニッチな目的地もくてきちがブーム」[]つたえていた。

仙台せんだい人気にんきになってきたと、わたしはなんとなくそんながしている。

1回目いっかいめ東北六県とうほくろっけんけば、3年間さんねんかんのビザがもらえる政策せいさくがあるってさ。仙台せんだい、いいじゃん。魯迅ろじん留学りゅうがくしてたところやな」

東京とうきょうにもちかいし。東北とうほくエリアのJR・PASSがおとくらしいぜ」

羽生選手はにゅうせんしゅ聖地巡礼せいちじゅんれいにいってみたい~ぎゅうタンもおいしそう」

おれ伊達政宗だてまさむねきだ」

仙台せんだいって、杜王町もりおうちょう原型げんけいだよね。花京院かきょういんというところもあるといた」

中国人ちゅうごくじん仙台せんだい理由りゆうはいろいろあるが、わたし仙台せんだい理由りゆうとくおもたるものはなかった。ただ「絶対ぜったい仙台せんだいくんだ」という気持きもちにられて、たびた。

 

2018にせんじゅうはち聖地巡礼せいちじゅんれい

2018にせんじゅうはち年7月15日ねんしちがつじゅうごにちくもり―

 

 

わたし関西かんさいあつさからげ、気温きおんのややすずしい仙台せんだいにやってきた。飛行機ひこうきり、観光かんこうセンターにかうと、そこには羽生選手はにゅうせんしゅのポスターがられていた。さっそく心斎橋しんさいばしのディズニーショップでったプーさんをり、いもうと記念撮影きねんさつえいってもらい、小躍こおどりをするほど期待きたいがあふれた。

ここから、わたし仙台せんだいでのおもはじめた。

 


    

名取経由なとりけいゆ仙台せんだい空港くうこうから仙台せんだいえきいたのは、ちょうどおひるころえきとはいえ、天井てんじょうたかいロビーでは弁当べんとう名産物めいさんぶつそろうブースがなら市場いちばみたいなところえきのずんだ茶寮さりょうで「うわさの」ずんだシェイクをってみたら、噂通うわさどお美味おいしかった。あまくてやわらかい食感しょっかんちいさいころんでたような脱脂粉乳だっしふんにゅうのにおいとずんだあっさりとしたかおりがじりい、とろとろくちなかけてくる。仙台せんだいなつはやはりずんだシェイク!

 


えきたら、交差こうさする歩道橋ほどうきょうえる。七夕祭たなばたまつりにはわなかったが、あちこちで七夕飾たなばたかざりがかざられていたおかげで、わたしもおまつりをいわっているような気分きぶんがした。滞在たいざい三日間みっかかん予定よていだったため、さっそく聖地巡礼せいちじゅんれいについた。


地下鉄南北線ちかてつなんぼくせん八乙女駅やおとめえきり、七北田川ななきたがわわたって10分じゅっぷんぐらいあるいたら、アイスリンク仙台せんだいく。七北田橋ななきたばしちかづいたところで、二人ふたりおんながスーツケースをガラガラといてあるいてきた。キャスターとアスファルトとの摩擦音まさつおんられ、おんなたちにけると、相手あいてわらいながら挨拶あいさつしてくれた。おたがいのくびには羽生選手はにゅうせんしゅ愛用あいようするファイテンのネックレスをつけていたのをたからだろうね。路地ろじけて、大通おおどおりについたら、高玉南公園たかだまみなみこうえんちかくにアイスリンク仙台せんだいしずかにたたずんでいた。なかはいると、ロビーには仙台せんだいひら着用ちゃくようする羽生選手はにゅうせんしゅ看板かんばんとサインの色紙しきし展示てんじされていて、おくにはミニ写真展しゃしんてんもあった。


 

アイスリンクはおもったほどおおきくないけど、練習れんしゅう夢中むちゅうになっているども、ふち沿ってすこしずつすす大人おとな、みんな一人一人違ひとりひとりちがったたのしみかたでリンクじょう時間じかんごしていた。

ここが羽生選手はにゅうせんしゅ成長せいちょう見守みまもった場所ばしょ。リンクにをやると、二回転にかいてんジャンプを練習れんしゅうするキノコヘアーのおとこがいた。そういえば、羽生選手はにゅうせんしゅもこのぐらいのとしでこういう髪形かみがたをしてたね、と記憶きおくにとどめていた「キノコちゃん時代じだい」の映像えいぞう脳内のうない再生さいせいした。


じつは、実家じっか青島チンタオにいたとき、よくリンクじょうかべにある巨大きょだいなスクリーンをながらぼうっとしてた。ながれるフィギュアスケートの試合動画しあいどうがながら、時間じかんながれをわすれてしまう。今回こんかいたび疲労ひろうからげる気分きぶんで、またぼうっとして、しばしの安堵感あんどかん満足感まんぞくかんあじわいながら、アイスリンク仙台せんだいがで20分にじゅっぷんほどすわっていた。旅行りょこうするとき、このような贅沢ぜいたく時間じかんつくるのも大切たいせつ一環いっかんだからな。

最後さいご記念写真きねんしゃしんり、アイスリンク仙台せんだいがとわかれることにした。れるまでもう少し時間じかんがあったため、さっそく次の目的地もくてきちめた。ちかくにある七北田公園ななきたこうえんちかくにあるとはいえ、飛行機ひこうきつかれたし、あるいていくのはきついし、結局けっきょくバスでくことにした。だが、そのときわたしはバスのかたらないということにづいていなかった。すぐにないだろうとおもいきや、るバスがやってきた。失策しっさくだ……とりあえず、まえひとのやりかたようかとおもいながら、一応いちおうバスにがった。しかし、まえのおばあちゃんがみどりのICカードをしたのを瞬間しゅんかんわたし発券機けんばいきまえかたまった。心配しんぱいすることはとかくこりやすいようだね。

「あのう、すみません。バスのかたおしえていただけませんか」

小声こごえはなしかけてみたが、こころなかではたすけてって一生懸命叫いっしょうけんめいさけんでいた。すると、

「まずはこれだね」

と、おばちゃんが整理券せいりけんいてくれた。

これも一期一会いちごいちえのごえんというものだろう。一回いっかいしかえないひと同士どうしだと、自己紹介じこしょうかいはしなくてもはなしがおのずとすすんでいく。このかぎられた時間じかん一番言いちばんいいたいことを一刻いっこくはや相手あいてつたえたいからだ。らないあいだ泉中央駅いずみちゅうおうえきまでていた。バスのかた依然いぜんとしてわからないままだったが、不安ふあんとかはまったくなかった。

整理券せいりけんをここにれていただけ…あ、そっちではなくて…」と、運転手うんてんしゅさん。

「すみません!」

「おかねはそちらに…あ、お客様きゃくさま両替りょうがえしたおかねはこちらに…」

「あ、ごめんなさい!」

「これでオッケーです!ありがとうございます!」

「……本当ほんとうにすみませんでした」

日本にほんみなさんに色々いろいろ迷惑めいわくをかけてきて自分じぶん不器用ぶきようさを再発見さいはっけんしたわたしは、おおくの失敗しっぱいかえしているうちに、余計よけい図々ずうずうしくなったようだ。

なによりバスのかたぐらいはわかったと、こうして自分じぶんなぐさめた。

「いつか羽生はにゅうくんにえたらいいね。では、よいたびを~」

恩人おんじんのおばあちゃんとわかれた。


「なんとかなる」って本当ほんとうだね。七北田公園ななきたこうえんについたときわたしはぼんやりとかんがえていた。あのはずっとわりやすい空模様そらもようだったけど、七北田公園ななきたこうえんそらだけは、くもりから脱出だっしゅつしたようなあざやかないろだった。れるまえに、わたしはさっそくプーさんに変身へんしんし、公園こうえん一回ひとまわりをして、おも存分記念写真ぞんぶんきねんしゃしんった。見つかった!

ようやく、中国ちゅうごくのファンたちに「結弦桜ゆずるざくら」とばれているまえた。羽生選手はにゅうせんしゅえたさくら。あまりしげっていなかったが、そのまっすぐびた若々わかわかしい様子ようすにすれば、立派りっぱさくらになった様子ようすもなんとなくかんでくる。となりにはいけがあるのなら、花筏はないかだたのしめそうだな。

七北田公園ななきたこうえんみどりまれそうとおもったときはなにしずくがしたたちた。小雨こさめはじめた。


2018にせんじゅうはち年7月16日ねんしちがつじゅうろくにちくも

 

東北初とうほくはつのジャンプショップは仙台せんだい誕生たんじょうした。仙台せんだいがパルコ本館ほんかん8階はちかいがったら、ジャンプショップとポケモンセンターでは大変たいへんひとだかりだった。「ハイキュー!!」の原画げんが看板かんばん瞬間しゅんかん、わくわくした気持きもちが爆発寸前ばくはつすんぜん風船ふうせんのようにふくらんだ。

 

ここは天国てんごくや!「ONEPIECE」「ぎんたま」だけじゃなく、「ハイキュー!!」にかんする幅広はばひろ種類しゅるい商品しょうひん店頭てんとう陳列ちんれつされ、とく東北限定とうほくげんていのグッズがたくさんのファンをせている。ここでまず「ハイキュー!!」という作品さくひん紹介しょうかいしなければならない。「ハイキュー!!」は宮城みやぎけん舞台ぶたいくバレーボールを題材だいざいにした少年漫画しょうねんまんがであり、仙台せんだいえき仙台市体育館せんだいしたいいくかん頻繁ひんぱん登場とうじょうするため、この漫画まんがにハマっていたわたし仙台せんだいたいするあこがれの気持きもちも一層強いっそうつよまった。店頭てんとう何周なんしゅうまわり、ようやくったグッズをえらんだ。おかねはこんなとき使つかうんだ!使つかったおかねこそ自分じぶんのおかねなんだ!と自己じこ催眠術さいみんじゅつをかけ、御会計おかいけいませたら、またとなりのポケモンセンターにはいった。


結局爆買けっきょくばくがいした。ジャンプショップのふくろには漫画まんが原画げんがわせて「仙台せんだいについにた」という文字もじもあった。仙台せんだいについにた!これはわたしいたいこと。そしてポケモンセンターのふくろに、レシートと一緒いっしょまぎんでいたカードが一枚いちまいつかった。「本日ほんじつものをしていただいた、ポケモンセンタートウホクの収益しゅうえき全額ぜんがく東日本大震災ひがしにほんだいしんさい被災ひさいした子供こどもたちのために使つかわれています」とかれている。東日本大震災ひがしにほんだいしんさい。これをるなり、記憶きおく一年前いちねんまえさかのぼった。一回生いっかいせいときは「日本にほん国情概論こくじょうがいろん」という授業じゅぎょうがあって、中間ちゅうかん発表はっぴょうとして、日本にほんのある地域ちいきについてテーマをクジきでめ、発表はっぴょうすることになっていた。運命うんめいなのかなんなのかはわからないが、わたしいたのがちょうど「東北とうほく」だった。


東日本大震災ひがしにほんだいしんさいをテーマにしたらどう」とグループメンバーに提案ていあんした。

「ちょっと、それよりもっと面白おもしろいテーマがあるよ」

「まあ、それはそうだけど…」

「こいつ、羽生選手はにゅうせんしゅにはまりぎだよ。でもいいんじゃないの?どうせみんなとくにやりたいテーマもないしさ」

わたしの「わがまま」がみとめられた。一生懸命いっしょうけんめい資料しりょう調しらべ、発表はっぴょう練習れんしゅうをした結果けっか先生せんせいにもみとめてもらえ、たか評価ひょうかももらった。発表はっぴょうわったとはいうものの、津波つなみながされなみにのまれる家屋かおく、ひっくりかえったくるまのぼつづける黒煙こくえん被災地ひさいち場面ばめん脳裏のうりいてはなれない。発表はっぴょう最後さいごに、「皆様みなさまも、ぜひ東北とうほく旅行りょこうってみてください」とアピールしたが、その東北とうほくがどういう様子ようすなのかさっぱりわからなかった。いつかたしかめにいくとめた。

仙台せんだいてから、ここが被災地ひさいちだったという認識にんしき一瞬いっしゅんんだ。東京とうきょう大阪おおさかほどじゃなかったが、まち様子ようすればここがきとしているのがわかる。仙台せんだい駅前商店街えきまえしょうてんがい散歩さんぽしたら、依然いぜんとしてのひとだかり。

「ほら、て」

あたまをあげると、たかくかけられていた横断幕おうだんまくえた。「羽生結弦選手感動はにゅうゆずるせんしゅかんどうをありがとう。仙台せんだい宮城みやぎ東北とうほくほこりです」と。羽生選手はにゅうせんしゅはいつまでもふるさとのことをにかけ、感謝かんしゃ言葉ことばかえしている。すこしでも仙台せんだいのことをアピールし、っていただけたらという羽生選手はにゅうせんしゅおもいが、いまちゃんと世界中せかいじゅう人々ひとびとすくなくともわたしにはとどいている。今回こんかいは、羽生選手はにゅうせんしゅのふるさとをるだけに仙台せんだいたとっても過言かごんではなかった。そして、ほんのみじかあいだ仙台せんだいれちゃったのだ。

 


わたしはもう一人ひとり選手せんしゅのことをおもした。

「ね、あいちゃんも仙台せんだい出身しゅっしんってってる?」といもうといた。

「えっ、あのむしあいちゃんが?」

そう。最初さいしょ中国人ちゅうごくじんられるようになった仙台せんだい出身しゅっしんのスポーツ選手せんしゅ羽生選手はにゅうせんしゅじゃなく、卓球たっきゅう選手せんしゅ福原愛ふくはらあいさんなのだ。ちいさいころ中国ちゅうごく東北地方とうほくちこう卓球たっきゅう特訓とっくんけたおかげで、中国ちゅうごく東北方言とうほくほうげんがペラペラになり、中国ちゅうごくのファンたちに「愛醤(あいちゃん)」だとしたしみをめてばれてきた。日本にほんでも中国ちゅうごくでも正真正銘しょうしんしょうめいの「東北人とうほくじん」で、卓球たっきゅう上手うまいということで、中日両国民ちゅうにちりょうこくみん可愛かわいがられてきた。こうかんがえると、ここはまさにスポーツ選手せんしゅかごだ。

散歩さんぽがてら、たいきの専門店せんもんてんたいきち」にきていた。そとパリパリ中身なかみフワフワの「うす皮たいき」とつめたくて美味おいしい「なまたいき」の二種類にしゅるい販売はんばいされていて、ラッキーなことに、土日限定どにちげんていのずんだあじもあった。なつだったけれど、熱々あつあつのたいきにした。

かえまえに、はぎつきのお菓子かしぎゅうタンをおばあちゃんにってあげようか」

ねえちゃんって、ほんまに仙台せんだいにはまってんな。わったやつ」

「わるいか」

「いや。ここが平和へいわであたしもき」

「ほら、たいべな」

出来上できあがりのたいきのこうばしいにおいにさっぱりしたかおりがじってきた。ずんだの鮮明せんめい緑色みどりいろは、まるで七月しちがつささのようだった。

 

2020にせんにじゅう聖地再礼せいちさいれい

2020にせんにじゅう年1月28日ねんいちがくにじゅうはちにちあめ

 

開店かいてんまであと1時間いちじかんか。

営業時間えいぎょうじかん調しらべずに利久牛りきゅうぎゅうタンにちゃったとは。わたしもたまにこんなことをする。躊躇ためらいに躊躇ためらった結果けっか、またかさし、あめなかすすむことにした。

ままにあたりをうろいろしていて、がついたら七北田橋ななきたばしがすぐまえにあった。二年にねんまえにはづかなかったが、このあたり凸凹でこぼこしているところがかなりおおいらしく、あめるとみずたまりがあちこちに点在てんざいしている。一生いっしょう懸命水けんめいみずたまりをけようとしたが、はしわたったやさきに、うっかりしてみずたまりをんでしまった。

油断大敵ゆだんたいてきくつがずぶれになったうえに、あめがいっそうはげしくなったおかげで、わたしとおくへがなくなり、競技場きょうぎじょうのような施設しせつ雨宿あまやどりにんだ。なんのためにここまでたんだろう。利久りきゅうっていたらいいのに。SIDのうたあめはいつかむのでしょうか」があたまなかでエンドレスでループしていたわたしは、れたくつを履いたままぼけっとするしかなかった。あめ余計よけいつかれやすく、そろそろ時間じかんだなと思って、利久りきゅうもどったときは、おなかもペコペコだった。


よし。くつれてもまったく苛立いらだたなかった自分じぶんのご褒美ほうびに、贅沢ぜいたくぎゅうタン定食ていしょく注文ちゅうもんしようぜ!でも、ぎゅうタンをたのしむまえに、大事だいじなことを。わたしはカメラをして、レジにかった。

「あ、羽生はにゅうくんのサインでしたら、こちらです」

店員てんいんさんのゆびさす方向ほうこうをやると、一列いちれつならんだややばんだ色紙しきしが見えた。なか一枚いちまい羽生選手はにゅうせんしゅいたやつで、六年前ろくねんまえのサインだった。むかしどこかの記事きじっていた写真しゃしんおもしたが、このみせ様子ようすもだいぶわってるようだ。レジのところはアリペイのマークもってあり、こんなとおみせでもよくアリペイが使つかえるんだと感心かんしんした。

いよいよぎゅうタンがはこばれてきた。ほどよい食欲しょくよくをそそるかおり。やはりぎゅうタンは厚切あつぎり!

「こりゃあうまそうだわ」

おっさんだらけのこのみせで、わたしおもわずおっさんっぽい感嘆かんたんこえをあげた。


 

ぎゅうタンをたのしんだあと五色沼ごしきぬまかった。国際こくさいセンターえきいたが、えきるまでもなく、ザーザーとしのをつく大雨おおあめだとわかった。まったく気配けはいはないようだ。ガラスのまど内側うちがわから、えきそとにおいてある看板かんばんのようなものが3つみっつ見えた。羽生選手はにゅうせんしゅ荒川静香選手あらかわしずかせんしゅのモニュメントだ。元々もともと2つふたつしかなかったが、平昌ピョンチャンオリンピックでのきんメダリスト二連覇にれんぱ記念きねんに、2019年にせんじゅうきゅうねんあたらしいモニュメントが設置せっちされ、3つみっつえた。そのはまさに晴明せいめいめいポーズだ。


モニュメントのひだり荒川選手あらかわせんしゅ羽生選手はにゅうせんしゅのハンドプリントも展示てんじされている。あめはげしくっていたにもかかわらず、自分じぶん手形てがたうえかさねてみた――わたしよりややおおきく細長ほそながだ。


 

国際こくさいセンターえきから出発しゅっぱつし、みなみかって三百さんびゃくメートルぐらいあるいて大通おおどおりをわたったら、日本にほんフィギュアスケート発祥はしょう五色沼ごしきぬまく。まえにここにときは、興奮こうふんしすぎちゃって国際こくさいセンターえき一日乗車券いちにちじょうしゃけんをなくし、あわててさがしていたので、五色沼ごしきぬまがこんなにちかところにあるとはまったくづかなかった。五色沼ごしきぬまとなりに、こおりうえでフィギュアスケートを練習れんしゅうするちいさな人影ひとかげうつっている写真しゃしん展示てんじされている。五色沼ごしきぬまをやると、ふゆつめたい雨滴あまだれ水面すいめんおどっていた。

ここって本当ほんとうこおるのか。

たぶん百年前ひゃくねんまえはもっとさむかったかな。

と、自問自答じもんじとうをし、勝手かって結論けつろんをつけた。そしてなぜだか魯迅ろじん文章ぶんしょうかれた「ふゆはいってかなりさむくなってもがまだたくさんいる」を連想れんそうした。

 


そうだ。このちかくに魯迅ろじんぞうがあると聞いた。あいにく博物館はくぶつかん整備せいび閉館へいかんしていたが、さいわいなことに魯迅ろじんぞう館外かんがいにあった。銅像どうぞうといえば、どこにいっても、ほとんどおなかおしているようながするから、魯迅ろじんぞうもたぶん教科書きょうかしょ印刷いんさつされたあのかおかもしれない。階段かいだんりると、魯迅ろじんぞうえた。木々きぎあいだしずかに魯迅ろじんぞうそらあおいでってきたあめているような素振そぶりで、ややうれしいような表情ひょうじょうもしている。わたし魯迅ろじんを見つめ、魯迅ろじんそらあおいでいる。もしその視線しせんかたちがあれば、たぶん仙台せんだいのこの場所ばしょを越え、うみまたいで、中国ちゅうごくのどこかにつながっていくいとのようかもしれないな。

はやくお風呂ふろはいりたいとおもって、ホテルにもどった。ホテルのカウンターからサプライズをもらった。去年きょねん発行はっこうされ、仙台せんだい市内しない配布はいふされるガイドブック「仙台せんだいめぐり」、羽生選手はにゅうせんしゅ私服しふく写真しゃしんなどがたくさんっていた。とっくになくなったとおもんでいたので、ここでもらえるとはゆめにもおもわなかった。今日きょう最高さいこうだ。


 

 ―2020にせんにじゅうねん年1月29日ねんいちがつにじゅうくにちあめ

 

仙台せんだい駅前商店街えきまえしょうてんがい無理算段むりさんだんしてようやく五百枚ごひゃくまいのマスクそろえた。マスクがいてあるたなまえ中国人ちゅうごくじん何人なんにんもいた。

「マスクをうのにここまでたんですか」とわたしからこえをかけた。

「いや。たまたま仙台せんだい旅行りょこうをしてるんですけど…まさかコロナがここまで深刻しんこくになるとは。ほかところではもうえないんですか?」

「そうですね。京都きょうととかではもうれらしいです。」

「そうなの!じゃここでわないと。今年ことし大変たいへんですね。武漢ぶかんがロックダウンされるなんて」

「そうですね。帰国きこくするときはぜひおをつけください。」

かさしながら、まるでしするかのいきおいでおおきな2つのビニールぶくろに入ったマスクを郵便局ゆうびんきょくまではこんで、中国ちゅうごくへの郵便ゆうびん依頼いらいした。

昨日きのう不安ふあん実家じっか電話でんわした。はははマスクをっておいたらしく、感染者かんせんしゃもあまりていないようだといて、ひとまず安心あんしんしたが、上海シャンハイ北京ぺきん友達ともだち連絡れんらくしたら、状況じょうきょうはどうもきびしいようだったので、仙台せんだいでマスクをっておくることにした。

郵便局ゆうびんきょくときも、あめつづいていたが、さむくはなかった。

今日きょう目標もくひょうはうみのもり水族館すいぞくかんだ。

中野栄なかのさかええきで降り、1.5kmぐらいあるいたらく。みなと方向ほうこうちかづくと、景色けしき一変いっぺんし、かさばすほどかぜつよくなった。みち両側りょうがわには自動車じどうしゃ整備せいびみせ工場こうじょうならび、高架橋こうかきょううえくるまぶようにはしっている。すれちがひとだれもおらず、この荒涼こうりょうたる景色けしきくと、ちょっとさびしげだ。高架橋こうかきょうをくぐってもうすこあるいたら、おおきくもないしろ建物たてものあめなかっているのがえた。うみのもり水族館すいぞくかんだ。もりというぐらいだから、おおいということだろう。そういえば、「もりみやこ」は仙台せんだい雅称がしょうとしてよくられ、「ジョジョの奇妙きみょう冒険ぼうけん」の第四部だいよんぶ舞台ぶたいとなる「杜王町もりおうちょう」も、仙台せんだい原型げんけいとしてつくった架空かくうまちである。荒木飛呂彦あらきひろひこさんは自分じぶん故郷こきょう漫画まんがにするほど仙台せんだいのことをあいしているのだ。


水族館すいぞくかんのチケットは仙台せんだい空港くうこうで買った割引わりびきチケット。水族館すいぞくかんはいったら、ひとすくなく、おまけにくらくて、まるでしずまりかえったよるみたいだった。おくくと、ようやくひとえた。かれらの視線しせんさきには巨大きょだい水槽すいそうがあり、そのなかではエイとイワシのれがおたがいをいかけていた。

イワシのトルネードは姿すがたえつつときえたりときあらわれたりする。



おくほうかうと、ちいさな水槽すいそう次々つぎつぎ登場とうじょうした。節分せつぶんちかいためなのか、アナゴの水槽すいそう季節きせつ限定げんてい恵方巻えほうま水槽すいそうのデザインになっている。「恵方巻えほうまき」のなかはアナゴがピッタリおさまる空洞くうどうとなっており、先端せんたんからちいさなかおしているアナゴの様子ようすがおかしくもいとおしくおもった。おまえらは心地ここちいいとおもってるかもしれないが、人間にんげんはあんたたちべようとしているぞ。

 


小型こがた水族館すいぞくかんだというのに、一週回いっしゅうまわるのに三時間さんじかんもかかった。二階にかいのフードコーナーで宮城県産みやぎけんさん銀鮭ぎんざけのランチセットを注文ちゅうもんし、一休ひとやすみすることにした。ひろいダイニングエリアにはわたししかいなかった。

今何いまなにしてるの?面白おもしろ動画送どうがおくったから、てね」とははからのメッセージ。

なんだろうとおもいながら、「水族館すいぞくかんにいるよ」と返事へんじし、動画どうがをタップした。

ちちがパジャマを一人ひとり一生懸命いっしょうけんめい卓球たっきゅう練習れんしゅうする動画どうがだ。卓球たっきゅう練習れんしゅう道具どうぐとして、くろ台座だいざなか弾力だんりょくのある細長ほそながいポールがしてあって、特製とくせいのピンポンボールがポールのトップにけられていた。あまりにもあやしくて滑稽こっけい装置そうちなので、おもわずわらってしまった。

「なにこれ。うける」

いま気軽きがる散歩さんぽないから、これをやるしかないんだってさ。ちなみに、おとうちゃんはひますぎてさっきトイレの隅々すみずみまで掃除そうじしてくれた。こんな甲斐甲斐かいがいしい様子見ようすみたことないわ」

「へえ、めずらしいね。でもずっといえにいるとさびしくないのか」

「それはそうだけど…でもみんなちゃんと我慢がまんしているから仕方しかたがない。そういえば、今年ことし親戚しんせきのところをまわらなくてもいいから余計に楽だ。そっちこそ、一人旅寂しくないの?仙台せんだい水族館すいぞくかんは楽しかった?」

たのしいよ。一人旅だから自由に時間を支配できるんだ。今日きょうはあんまり人がいなくて、キレイな写真しゃしんがとれた」

「人の少ない水族館すいぞくかんなんて贅沢ぜいたくだな。旅行りょこうたのしんでね。」

「ありがとう。そうする。そっちも頑張って」

旧正月きゅうしょうがつのこの時期じきに実家にいないのは生まれて初めてで、しかも一人で旅をしているとは。故郷に対する恋しさ仙台せんだいの風景によって慰められ、不思議な安心感を感じるほどだ。これからは一人でどこへでも行けそう。

あめむことをらずに、今日きょうつづいている」[]

 

未完待続つづく

仙台せんだいときはいつもあわただしかった。二回にかいったとはいえ、いまだに仙台せんだい未練みれんのこっている。

まだ七夕祭たなばたまつりを経験けいけんしたことがない。まだ定禅寺通じょうぜんじどおりっていない。まだ秋保温泉あきうおんせんったことがない。ぎゅうタンもずんだもいつかまたべたい…「まだまだやりたいことがあるから、またるよ」と、仙台せんだいからはなれるたびに、くやしさとともに期待きたいまれる。

わたし仙台せんだい物語ものがたりは「未完待続つづく」だ。今度こんど仙台せんだいれのむかえればとねがっている。

 

つづく

 

 注:

[1]竹内好による訳文。「上野の櫻が満開のころは、眺めはいかにも紅の薄雲のようではあったが、花の下にはきまって、隊を組んだ「清国留学生」の速成組がいた。」

[2]RecordChina https://www.recordchina.co.jp/b741353-s0-c20-d0052.html

[3]SIDによる曲「レイン」の歌詞