日本社会を生きる人々との対話へ
風さんー手話やろうのことを知ることでこれまで見ていたCODAとしての世界が変わる
風さん―手話やろうのことを知ることでこれまで見ていたCODAとしての世界が変わる
―中国の大学の日本語学科で日本語を勉強してから、日本の大学院に留学に来ました。外国語の勉強が好きだったんですが、いろんな言語の志望を出して、三番目だったかな、もっと下だったかもですが、たまたま日本語を勉強することになりました。もともとアニメとかドラマとかそういう興味とか関心はなく、日本語とは無縁でした。
日本語を勉強することになった風さんは、日本の大学院の博士課程で国語学の研究をしています。
―日本語は全然抵抗もなくすんなり勉強できました。ただ、私がいたところは日本からのネイティブがあまりいなかったので、なかなかしゃべる機会もなくて、話すのは難しかったです。大学2年生で日本語能力試験の1級をとりましたが、あまり話せなかったので、能力試験って本当の日本語のレベルはあまり合致しないものなんですね。
大学を卒業した後は日系企業に就職したが、留学したいというかねてからの思いを実現するために日本の大学院に入ることにした。
―私の場合、日本語学校行かなかったんですね。研究生として今の大学院に入りました。今7年目です。
東京の生活は大変ながらも楽しいです。
―問題になるようなことはほぼなかったです。何かあったのかな。ないと思います。トラブルも記憶にはない。実は彼女も日本に一緒に留学に来たので、今結婚してるんですけど、そんなに寂しいとかもないですし。
ろう者の両親を持つコーダ(CODA:Children of Deaf Adults)である風さんは、将来、日本手話の研究をやりたいと思っています。
―日本に来てすぐの頃から、Facebookとかでたまたま見つけたりした手話教室とかに入って体験したことがあります。それから日本手話学会に一回参加して、Facebookで手話学会に関わる人をフォローして、手話関係の情報を見たりするんですね。やっぱり手話そのものがすぐ目に入っちゃうんですね。両親がろう者だから。今はいろいろ文献を見たりしていますが、日本手話のレベルもあるし、それを記述することも難しいので、今はまだ自分のレベルはそこまで行っていないのかなと思っています。
言葉を勉強するようになったことがきっかけで、コーダであることに劣等感を常に感じていた自分自身がすごく変わりました。
―両親がろう者だっていうことが前はすごい嫌だったんですけど、大学2年生ぐらいのときに言語学の知識に出会ってから、全然人が変わったっていう感じでした。やはり自分のアイデンティティという部分の発見になった。それから日本にやってきて、木村晴美さんの手話、『ろう文化宣言』っていう本を読んで、それもすごい影響がありました。
子どもの頃は嫌なことがいろいろありすぎました。
―知ってる人から、お前の両親は聞こえないんだみたいな。高校のときはすごい嫌でした。一番人に知られたくない時期だったかもしれません。それを両親も知ってて、私の友達が来ても全然しゃべらないし、手話もしないし、多分ばれないようにしてくれてたんだと思います。
自分が他の人とは違うっていうのをとにかく知られたくなかったんです。
―なので、やはり近所の友達と一緒にいるのが一番気楽に感じていました。田舎に住んでいたので、みんな両親のことを知っていますから、ちっちゃいときから。でも、小学校のとき、みんなが家に電話持ち始めてたときに、家の電話番号を聞かれるのが結構嫌だったんです、うちには電話がないから。あと、保護者会っていうのがあったんですが、毎回自分の両親じゃなくて、親戚のおばさんとかを呼んで一緒に行ってもらうのも嫌でした。
何だかばかにされちゃうんですよね。
―日本の状況はどうなのかよくわからないんですが、中国はまだ昔と変わらず、ろう者はしゃべれない人で知的障害と同等視するっていうのがあるんですね。それであんまり自分と付き合いがなくてよく知らない人からはばかにされたりしたこともあります。どっちもばかにしちゃいけないことなんですけど。だから中学校と高校とか思春期のときは、好きな人ができたりして、その好きな人に知られたらどうしようという気持ちもありました。
劣等感ですね。
―かといって同じコーダには逆に疎外感を感じてました。相手に自分のあんまりかっこよくない側面を知られるのが嫌なんすかね。もしこっちが友達になりたいと思っても、向こうが警戒心を持っているかもしれません。だから、なぜかあんまりコーダ同士だからといって友達にはなれないんです。
知識を共有していることの大事さを知りました。
―日本のコーダの研究会とか懇親会ではみんなすごい親しい感じでした。中国での経験を考えてみると、多分推測なんですけれども、お互いに聞こえない両親を持つっていうのは恥なんだっていうふうに思ってるんじゃないかなと。中国では恥だとしているから、あまり仲良くなれないのかもしれません。
今はコーダであることはむしろ恥じゃなくて、すごい自慢です。
―やっぱり言語学の本を読んで、手話の位置づけを知ることで、われわれと全然変わらないじゃんみたいに思ってからは、今は堂々と言えます。今は辛い話でもすごい冗談として言えるようになってきましたね。
外国語が好きなこと、日本の暮らしが順調なのは家の環境が影響しているのかもしれません。
―中国手話が使えてろう文化で育ってきたことが、異なる文化に対する吸収力が多分ある程度あるのかなと思いました。そういう意味で外国語勉強するのとか日本のような海外で暮らすときにもちょっと耐性があるのかもしれませんね。
(終わり)