日本社会を生きる人々との対話へ
丸田健太郎さんーSODAとしての自分なりの生き方を見つけたい
丸田健太郎さん―SODAとしての自分なりの生き方を見つけたい
―僕にはろうの姉と弟がいます。家族では両親と僕が聴者です。
丸田さんは障害のあるきょうだいを持つSODA(Siblings of Deaf Adults/Children)で、手話も話せます。
―僕の場合、正直に言えば、あまり手話と出会った感覚はないです。気付いたら自分の中にいたというのが正確かもしれないですね。生まれた時にはろうの姉がいたし、母も手話ができるので家の中で手話を見るのが日常でした。最初は指文字を覚えて、そのあとキュードを覚えて、だんだん手話の単語を覚えて…。子どもが母語を獲得していくのって実際にはどういうのかわからないんですけど、あるとき自分の中で手話が全部結びついて、一気に手話力が上がったような感覚があったのを覚えています。今では姉ともろうの弟とも一緒に住んでいないので手話を使うことは少なくなりましたが、ろうの人と話す時とかには使います。ただ、僕はあまり自分の手話に自信がないというか、好きではないので、あまり人前、特に手話がわからない聴者の前ですることは避けてますね。
手話は身近すぎて、勉強するもんじゃないって思っています。
―ちょうどこの前、大学の先生から手話検定を受けたらみたいなことを言われたんですが、全力で拒否しました。もともと手話を学んだりするのが好きではないんですよね。大学の時に手話サークルには所属してたんですけど、あんまり毎回行ったりはしてなかったので。手話を全然知らなかった人が、ちゃんと勉強して話せるようになってるのを見るとすごいなって思うんですけど、自分はなんかそういうのじゃないって思ってました。
聞こえない姉弟がいての今の僕だと思っています。
―小さい頃は特に、自分がきょうだいだからとか意識したことはなかったです。自分にとってはそれが当たり前すぎて、むしろ姉弟が聞こえるっていう状況が想像できないです。IPS細胞みたいな医学が完成して、姉弟が聞こえるようになったら、どうやって関わったらいいかわからないですね。多分、自分のアイデンティティも損なわれるんじゃないかなって思います。自分は何にも変わらないのに、変な話ですけど。
今はこのSODAという存在に研究を通して向き合っています。
―SODAの研究をするようになってから、自分の立場とか経験が他の人とは違うんだっていうのを意識するようになりました。親がろうであるCODA(Children of Deaf Adults)の人や同じSODAの立場の人と関わるようになって、より一層ですね。同じところもあるし、違うところもあるんですけど、CODAとかSODAの人と話してると楽なところもあります。他の人が絶対にわからないことも共感することができたりするんで。ただ、そこまで自分はしんどくなかったなあって過去の経験を比べてしまう時もあります。今ではSODAという立場であることを前向きに捉えています。昔はあんまりそういうのを考えてこなかったんですけど、今では全部含めて、客観的に経験とかを見直すことができているのかなと思います。
他のSODAやCODAの人たちと関わる中で特に感じたのは、「そういう選択があったんだ!」ということでした。
―例えば、自分は手話を自然と身につけたし、姉弟と関わる時に必要なものだと思っていたので、手話を学んだり使ったりすることに疑問はありませんでした。しかし、同じSODAでも手話をしない人もいるということを知って、「手話をしなくてもよかったのか!と思いました。もちろん、手話をすることのよさもあるし家庭環境にもよるので、どちらがいいとかは人それぞれだと思いますが、違う選択肢があったということを考えたことがなかったので、衝撃でした。
CODAの人の話を聞いていると、自分の場合はしんどかったというよりも大変だったのかなと思っています。
―不幸比べみたいになってしまうのであまりよくないのかもしれませんが、他のSODAの人にしろ、自分はそこまでSODAという立場に悲観的だったり負の影響を受けていたわけではなかったのかなと思います。結果から言えば、それで自分自身の感情を押し殺して生きてきたので、大人になってから色々な問題(家族関係や心理的なもの)が噴出したのかなとは思います。
今までの経験が僕の人生を作っていく。
―SODAという立場によって、他の人が経験しないようなこと経験したり、生きづらさを抱えてきたということはもちろんあると思います。ただ、それはあくまで自分がそういう立場だから目に見えて他の人と違うところがわかりやすいだけなので、どんな人にもそういう経験はあると思っています。僕の場合は、通訳という役割を担ったり、手話を覚えたり、ろう文化に関わったりという経験が特殊なものだったかなと思っていますが、むしろこんな経験がなければ今の自分はなかっただろうし、これからも過去の経験を生かして生きていくんじゃないかなと思います。
特に自分の場合は教育学を専攻しているので、自分の経験を子どもたちの教育に生かしていきたいです。
―マイノリティとか他者に対する意識みたいなものには敏感なのかなと感じています。大学の授業などで障害者に関する講義を受けた時とかに、周りが平然と差別的な発言をすることに驚いたりしました。「お前、先生になるんやろ!?」みたいな。自分は絶対そういうことは言わないし、教職に就いた時にもマイノリティとか何かしらのしんどさを抱えている子どもをしっかりと支援できるようになろうと思っていました。結局、まだ現場には出ていませんが、今の自分の大学院での研究テーマに自分の経験は生かされていると感じるし、だからこそ、自分の研究に自信を持つことができているのかなと思っています。
(終わり)