経験

日本社会にほんしゃかいきる人々ひとびととの対話たいわ

2021.02.18

丸田健太郎さんーSODAとしての自分なりの生き方を見つけたい

丸田健太郎まるたけんたろうさん―SODAとしての自分じぶんなりのかたつけたい

 

ぼくにはろうのあねおとうとがいます。家族かぞくでは両親りょうしんぼく聴者ちょうしゃです。

 

丸田まるたさんは障害しょうがいのあるきょうだいをつSODA(Siblings of Deaf Adults/Children)で、手話しゅわはなせます。

 

ぼく場合ばあい正直しょうじきえば、あまり手話しゅわ出会であった感覚かんかくはないです。気付きづいたら自分じぶんなかにいたというのが正確せいかくかもしれないですね。まれたときにはろうのあねがいたし、はは手話しゅわができるのでいえなか手話しゅわるのが日常にちじょうでした。最初さいしょ指文字ゆびもじおぼえて、そのあとキュードをおぼえて、だんだん手話しゅわ単語たんごおぼえて…。どもが母語ぼご獲得かくとくしていくのって実際じっさいにはどういうのかわからないんですけど、あるとき自分じぶんなか手話しゅわ全部ぜんぶむすびついて、一気いっき手話しゅわりょくがったような感覚かんかくがあったのをおぼえています。いまではあねともろうのおとうととも一緒いっしょんでいないので手話しゅわ使つかうことはすくなくなりましたが、ろうのひとはなときとかには使つかいます。ただ、ぼくはあまり自分じぶん手話しゅわ自信じしんがないというか、きではないので、あまり人前ひとまえとく手話しゅわがわからない聴者ちょうしゃまえですることはけてますね。

 

手話しゅわ身近みぢかすぎて、勉強べんきょうするもんじゃないっておもっています。

 

―ちょうどこのまえ大学だいがく先生せんせいから手話しゅわ検定けんていけたらみたいなことをわれたんですが、全力ぜんりょく拒否きょひしました。もともと手話しゅわまなんだりするのがきではないんですよね。大学だいがくとき手話しゅわサークルには所属しょぞくしてたんですけど、あんまり毎回まいかいったりはしてなかったので。手話しゅわ全然ぜんぜんらなかったひとが、ちゃんと勉強べんきょうしてはなせるようになってるのをるとすごいなっておもうんですけど、自分じぶんはなんかそういうのじゃないっておもってました。

 

こえない姉弟きょうだいがいてのいまぼくだとおもっています。

 

ちいさいころとくに、自分じぶんがきょうだいだからとか意識いしきしたことはなかったです。自分じぶんにとってはそれがたりまえすぎて、むしろ姉弟きょうだいこえるっていう状況じょうきょうが想像できないです。IPS細胞さいぼうみたいな医学いがく完成かんせいして、姉弟きょうだいこえるようになったら、どうやってかかわったらいいかわからないですね。多分たぶん自分じぶんのアイデンティティもそこなわれるんじゃないかなって思います。自分じぶんなんにもわらないのに、へんはなしですけど。

 

 

いまはこのSODAという存在そんざい研究けんきゅうとおしてっています。

 

―SODAの研究けんきゅうをするようになってから、自分じぶん立場たちばとか経験けいけんほかひととはちがうんだっていうのを意識いしきするようになりました。おやがろうであるCODA(Children of Deaf Adults)のひとおなじSODAの立場たちばひとかかわるようになって、より一層いっそうですね。同じところもあるし、ちがうところもあるんですけど、CODAとかSODAのひとはなしてるとらくなところもあります。ほかひと絶対ぜったいにわからないことも共感きょうかんすることができたりするんで。ただ、そこまで自分じぶんはしんどくなかったなあって過去かこ経験けいけんくらべてしまうときもあります。いまではSODAという立場たちばであることを前向まえむきにとらえています。むかしはあんまりそういうのをかんがえてこなかったんですけど、いまでは全部ぜんぶふくめて、客観きゃっかんてき経験けいけんとかを見直みなおすことができているのかなとおもいます。

 

ほかのSODAやCODAのひとたちとかかわるなかとくかんじたのは、「そういう選択せんたくがあったんだ!」ということでした。

 

たとえば、自分じぶん手話しゅわを自然と身につけたし、姉弟きょうだいと関わる時に必要なものだと思っていたので、手話しゅわまなんだり使つかったりすることに疑問ぎもんはありませんでした。しかし、おなじSODAでも手話しゅわをしないひともいるということをって、「手話しゅわをしなくてもよかったのか!とおもいました。もちろん、手話しゅわをすることのよさもあるし家庭かてい環境かんきょうにもよるので、どちらがいいとかはひとそれぞれだとおもいますが、ちが選択肢せんたくしがあったということをかんがえたことがなかったので、衝撃しょうげきでした。

 

CODAのひとはなしいていると、自分じぶんの場合はしんどかったというよりも大変たいへんだったのかなとおもっています。

 

不幸比ふこうくらべみたいになってしまうのであまりよくないのかもしれませんが、ほかのSODAのひとにしろ、自分じぶんはそこまでSODAという立場たちば悲観ひかんてきだったり影響えいきょうけていたわけではなかったのかなとおもいます。結果けっかからえば、それで自分じぶん自身じしん感情かんじょうころしてきてきたので、大人おとなになってから色々いろいろ問題もんだい家族かぞく関係かんけい心理しんりてきなもの)が噴出ふんしゅつしたのかなとはおもいます。

 

 

いままでの経験けいけんぼく人生じんせいつくっていく。

 

―SODAという立場たちばによって、ほかひと経験けいけんしないようなこと経験けいけんしたり、きづらさをかかえてきたということはもちろんあるとおもいます。ただ、それはあくまで自分じぶんがそういう立場たちばだからえてほかひとちがうところがわかりやすいだけなので、どんなひとにもそういう経験けいけんはあるとおもっています。ぼく場合ばあいは、通訳つうやくという役割やくわりになったり、手話しゅわおぼえたり、ろう文化ぶんかかかわったりという経験けいけん特殊とくしゅなものだったかなとおもっていますが、むしろこんな経験けいけんがなければいま自分じぶんはなかっただろうし、これからも過去かこ経験けいけんかしてきていくんじゃないかなとおもいます。

 

とく自分じぶん場合ばあい教育きょういくがく専攻せんこうしているので、自分じぶん経験けいけんどもたちの教育きょういくかしていきたいです。

 

―マイノリティとか他者たしゃたいする意識いしきみたいなものには敏感びんかんなのかなとかんじています。大学だいがく授業じゅぎょうなどで障害しょうがいしゃかんする講義こうぎけたときとかに、まわりが平然へいぜん差別さべつてき発言はつげんをすることにおどろいたりしました。「おまえ先生せんせいになるんやろ!?」みたいな。自分じぶん絶対ぜったいそういうことはわないし、教職きょうしょくいたときにもマイノリティとかなにかしらのしんどさをかかえているどもをしっかりと支援しえんできるようになろうとおもっていました。結局けっきょく、まだ現場げんばにはていませんが、いま自分じぶん大学院だいがくいんでの研究けんきゅうテーマに自分じぶん経験けいけんかされているとかんじるし、だからこそ、自分じぶん研究けんきゅう自信じしんつことができているのかなとおもっています。

 

わり)